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アメトーークをヒモトーーク(ひも解く)

最近のアメトーークを見ていると、「なんだかなあ」と思う。その「なんだかなあ」の中身について語りたい。

まずは、企画の枯渇である。普通のトーク番組としてスタートしたアメトーーク。その後、「めがね芸人」という企画を発端にして、そこからは「特定のジャンルに特化した芸人によるトーク番組」として現在に至っている。

しかし、それももう限界にきているのではないだろうか。

そりゃ、最近のヒット企画である「運動神経ない芸人」はメチャメチャ面白かったが、それだって「ひさびさにイイのが来たな」というのが一視聴者としての感想である。それ以外には、あまりイイのがないのだ。

かつては毎週のように見ていたが、最近はテレビ欄のタイトルを見て、「良さそう」と思った回だけを見ている。

漫画に特化したもの(ジョジョの奇妙な芸人)、ある人物をフィーチャーしたもの(黒沢ナイト)、特殊系(大阪だより)などの企画は今でも面白いとは思うが、通常の「特定のジャンルに特化した企画」にヒットが少なくなりすぎているのだ。

そのあたりが、なんだかなあ、なのである。

次に、アメトーークの主要芸人のマンネリ化である。

その芸人とは、ケンドーコバヤシ、そして土田晃之の2トップである。この2人がここ数年のアメトーークを引っぱってきていたのだが、ここへきて、明らかなマンネリが見られるのだ。

そして、そのマンネリは、彼ら自身にも当てはまると考えられる。ブレイク前はそれはそれはブレイクを夢見ていただろうとは思う。だが、ブレイクし、ある特定の番組に出続けるということは、そこには必ずマンネリが生じるのだ。

そして、水戸黄門のようなものならいざ知らず、これはバラエティーであり、芸人であるのだから、そこには「マンネリの打破」が要求されるのだ。

しかし、私の見る限り、2人にその気配は感じられない。

そして、たぶんそのことは2人自身も気づいているのだと思う。

なんだかなあ、である。

以上2点により、アメトーークは、今後さらなる危機にさらされるだろう。むろん、サバンナ高橋の活躍は知っているが、彼はアメトーーク以外でも売れ始めたたため、今後も以前の2トップのようには出演できないだろう。

かといって、さらに下の世代から、2トップを超える存在の台頭があるかといえば、その気配は今のところ見当たらない。

きっと、優秀なスタッフを抱える番組なのでこれらのことは織り込み済みだとは思う。だとしても、である。

個人的には、来年の春の改編を持って一旦終了する、というのが番組を傷つけない最良の選択だと思うのだが…。


さあ、どうなることやら。

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